徒然なるまま

日記というか、雑記帳というか、そんな感じで色々書く

デジタルネイティブは何故、デジタル虚無を嫌うのか/第2回

さて、前回は「デジタル虚無」という造語について考察をして見たわけだが今回は本題でる「デジタルネイティブは何故、デジタル虚無を嫌うのか」ということについて考えて行きたいと思う。

さて、前回にも述べたが筆者は所謂「デジタルネイティブ」と言われる世代の人間である。この世代は日常にデジタル機器、というかインターネットが日常に存在していた世代と言われるがまさにその通りであると思う。

実際自身がデジタルに機器に触れてきた歴を顧みると、小学校低学年ごろには普通に家にパソコンがあった。さらにいうと、家にあった一番古いPCはWindows95のブラウン管モニターでこれをおもちゃにしていた記憶がある。さらに古いものだと、うろ覚えではあるが祖父が使っていたワープロも機械自体は今も家の倉庫にある。このようにデジタル機器に囲まれて過ごしているし、ネットにもPCがあったおかげでかなり早い時期から触れていたと思う、2chやMMOをやっていたので。

さて、ここまでくると少し感じたのが、デジタルネイティブとデジタル虚無と呼んでいる人物における1番の違いはインターネットに触れてきた年月。もう少し正確にいうならば人生でインターネットに触れてきた年月の割合、これが圧倒的に違うということだ。つまり、デジタル機器・技術に対する下地になる部分が大幅に違うはずなのだ。

これがかなり重要なのではないかと考える。というのも、デジタルネイティブはインターネットという情報の海から自身に必要な情報を見つけ出す能力が高いと推察できる。デジタル機器・技術は非常に早いスピードで進化している、そのため常に新しい機器・技術と向き合っているため、使っていく上で情報を探したり、トライアンドエラーを繰り返すのが日常になっているのがデジタルネイティブ世代だと考える。その中で蓄えられた経験や知識、これが「デジタル虚無」と呼んでいる人にはないのだ。

自身の経験からしても、親や祖父は「デジタル虚無」に属する人間だと思っているが明らかに私からすれば原因を推察できたり、検索すれば一瞬で解決するようなエラーに対処ができていないことが多々あり、私の所に聞きにくることが多い。
そして、機械の操作方法を教えてもすぐにまた同じ操作を質問しにくることも多々あるがこれもほとんど同じ要員だと思われる。

デジタルネイティブは何故、デジタル虚無を嫌うのか」に回答をつけるのだとすれば、「デジタル虚無はデジタルネイティブ世代にとってエラー原因や操作方法をネットで検索するという問題解決の最初の手順をすっ飛ばして質問してくること、さらにその説明をしても通じないことがストレスになるから」と言えるだろう。

 

 

二回にも渡って長々と書いてしまったが、次の更新からはアニメと雑学シリーズに戻りゆるっと書きたいものだ。