徒然なるままに

日記というか、雑記帳というか、なんかそんな感じで色々書く

アニメと雑学 第10回:ウマ娘とリアル競走馬「刺客・ライシャワー」

早いものでもう梅雨入りしたかと思えば、全く雨が降らず夏に時間が飛んだのでは?と思いたくなる今日この頃である。

さて、今回は前回の予告通りウマ娘2期でも特に異彩を放っていたキャラであろう「刺客・ライスシャワーについて。

競走馬「ライスシャワー」は1991年から95年の間に活躍した。競馬史に残る大記録達成を2度にわたって阻み、勝利をおさめながらも"ヒール"の位置づけになってしまった馬である。

アニメでもかなり小柄に描かれていたが競走馬としても小柄であったという。またアニメでもテイオーとストレッチをしている場面があったが、馬のライスも外見は硬そうな印象があったらしい。だが騎乗した育成調教の担当者が「雲の上に乗っているようだった」というほど柔らかかったらしい。

ライスシャワーの戦績の中で語られるレースといえば、1992年のミホノブルボンの三冠に立ちはだかった菊花賞、1993年のメジロマックイーン天皇賞・春3連覇の阻止である。

ミホノブルボンの3冠を阻んだ菊花賞ライスシャワーのG1初勝利であり、日本の芝3000mのレコードを更新するものだった。

また、メジロマックイーンとの勝負となった天皇賞は陣営の目標でもあり、徹底的に追い込む調教が行われ、前走から−12kgという極限まで絞った馬体で望みこの時もコースレコードとなっている。またこの時の印象は騎手に「馬じゃない別の生き物ようだった」と言わしめる程だったという。

JRAのプロモーションでも

'93年 天皇賞(春)
極限まで削ぎ落した体に、鬼が宿る。
王者・メジロマックイーンの三連覇を阻んだ、漆黒のステイヤー
ヒールか、ヒーローか。悪夢か、奇跡か。
その馬の名は…

としてCMに抜擢されている。

 

こうした戦績からヒールの印象が強かったライスシャワーであったがメジロマックイーンの3連覇を阻止した天皇賞・春以降は勝利がなく不振が続く。そして成績不振が続く中で迎えた95年天皇賞・春ライスシャワーは前年にステージチャンプを僅か16cmで抑えて、728日ぶりの勝利を手にし、ヒールの印象を払拭した。

 

天皇賞の勝利後、疲れが抜けず秋まで休養するか、このまま引退かという話もあったが、ライスシャワー陣営は、春最後のGⅠ宝塚記念への出走を決意する。そしてレース当日、序盤はやや後方からレースを進め3コーナーを曲がり、後方から除々に脚を伸ばそうとした。その時、左前脚を開放脱臼・粉砕骨折し転倒、競走を中止した。診療所に運ぶことすらできない重傷であり、予後不良としてコース上に幕を貼って安楽死の処置がなされた。騎乗していた的場騎手は打撲で済んでいたことから、その最期を看取り、亡骸を馬場から運ぶ馬運車に深く礼をしたまま見送った。担当厩務員の川島は、手綱を握りしめたまま泣いていたという。

 

「淀を愛した、孤高のステイヤー

 これはJRAが毎年制作しているポスターのライスシャワーのキャッチコピーである。『淀』とは京都競馬場の異名であり、生涯戦績のG1勝利を全て淀で挙げており最後は淀で散った。
京都競馬場にはライスシャワーの遺髪を収めた記念碑が建てられており今なお献花や供物が絶えず、菊花賞天皇賞・春の時はなおさらだという。